ここではない、どこかへ。
いつの頃からか、もうはっきりと覚えていませんが、
だいぶ幼いころからずっと感じていたことがありました。
それはまだ言葉になる前の感覚で、
「ここはわたしのいるところじゃない。」
というものです。
子どもの頃は、子どもらしい子どもでもあったと思います。
天真爛漫で、元気で、
近所の友だちと秘密基地をつくって外で遊ぶことが好きでした。
小学生くらいだったと思いますが、朝起きて窓から家の前の公園を眺め、
わくわくした気持ちでいたことを覚えています。
子どもらしく、毎日が一日の始まりから楽しいという感じがありました。
いっぽうで、時おりふと、
ぽっかりした感覚になることがありました。
言葉にすると、こころもとなさ、
というのがいちばん近いかもしれません。
その時の感覚を言葉で表現するのはむずかしいですが、
わたしはなんでここにいるんだろう、
ということを、概念としてではなく感覚として感じていました。
なぜそうだったのか、今ならわかることもあります。
育った環境もあると思いますが、
なにより、自分自身の持って生まれたもの、
感覚によるところが大きかったのだと思います。
感じやすさ
いろんなことをとても敏感に、繊細に、微細に感じとっていました。
自分のまわりの世界に存在しているもの、
目に見えるもの、目に見えないもの。
人のこころ、感情、人から発せられているもの。
自然の姿、形、たたずまい。動物との関わり。
匂い、味、肌にふれる感じ。こえ、音。
心地よいものも、そうでないものも。
あらゆるものを感じとり、それを自分の中に吸収していました。
もちろんそれは無意識のうちにされていたことです。
子どもなので、
自分の感じやすさを客観的に認識することはできませんでしたし、
思春期をへて大人になってからも長いことそうでした。
大人になるにつれ、
自分の中にある違和感への自覚は強まっていくばかりで、
日々それを感じながら、
そのことを抱えてずっと生きてきました。
そうした感覚がベースとなって、
いつからか私の中には、「ここではない、どこかへ。」
という思いが生まれました。
家族と一緒に乗っている車の中から月を見て、
「ああ、かえりたいな」と思う。
友だちとすごす場面や時間の中で、
「どこか別のところにいきたい」と思う。
子どもの頃から住んでいた土地ではなく、
「いつか自分の住むところを見つけたい」と思う。
そんなふうに、「ここではない、どこかへ。」という思いは、
私の人生の基本の感覚のようになっていきました。
それゆえ当然のことながら、
ひとりでいる時間が好きでした。
ひとりでいる時間、ひとりになれる場所。
子どもの頃は家族や友だちといることが多いものですが、
それでも、ふとした隙を見つけてひとりになりにいくことがよくありました。
それがたとえ時間にして5分か10分だったとしても。
なにか嫌なことがあって、
すねたりいじけた気持ちになってひとりになりたい、
ということもありましたが、そのほとんどはもっとふつうの、
ふだんの感覚だったように記憶しています。
クジラが呼吸をするため海面に上がっていくような、
猫が毛づくろいをするような、
そんな、生き物としての習性に近いもの。
習性だけれども、それがあることで日々が成り立ち、
命をつないでいるもの。
そのことと並行して、
自分の夢中になれることをずっと追いつづけてきました。
対象は移り変わっていきましたが、共通していたのは、
自分の中の感覚や衝動からそれを見つけるということです。
そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、
自分が自分の好きなことや夢中なことに出会っていくというのは、
つくづくよくできていると感心します。
それが働く仕組みはわからないけど、
ちゃんと嗅ぎあて、見つけだす。その妙。
私の “夢中” の最初は料理で、
自分でお弁当らしきものを作ったのが保育園のころ。
食べることと作ることを、
夢中でやっていた期間がありました。
それから、読むことと書くこと。
中でも書くことは、ひたすらに何かを書きつけていた時期があった。
初めてのひとり旅で、鮮烈に感銘を受ける宿と出会い、
大学時代にはいくらでも時間をかけて器や壺を作った。
フラワーエッセンスを知ってからは内面世界のディープな探求が始まり、
それは形を変えて今なお続いています。
そんな自分のこれまでを眺めてみると、
われながら熱いなあと思う。
なにかに突き動かされるように、
一心不乱に、がむしゃらに、
求めつづけてきたように見えるその真ん中には、
強い魂があると感じる。
私の魂はドラゴンボールの悟空に似ていて、
とても純粋で無邪気な強さを持っている。
私の感じやすさは、
超高精度のすばる望遠鏡くらいかもしれない。
強さと、感じやすさ。
感じやすさと、強さ。
この2つが組み合わさったのが自分なんだなと、
最近になってようやくはっきり認識できるようになってきました。
今はこの認識のもと、感じやすさから取り込んできた
あらゆる他をじゃんじゃん落としていくことと、
ずっと続けてきたこれまでの夢中な時間を形にしていくことを通して、
人生を作り替えている最中です。
ここではないどこかを求める思いと、
夢中を追い続ける気持ちは、表裏になっていて、
同じところを目指していました。
ただひたすらに目指していたのはいつも自分でした。
自分に還ることでした。
ここではないどこかではなく、
ここにある、自分へ。
旅はこれからも続いていきます。
いい風が吹く。
〔 Profile 〕
上野 華子 (Hanako Ueno)
1980年生まれ。探求する者。AB型で乙女座。
豊島に移り住み、季節や土地のもので作ったご飯、お茶、お菓子をふくめた
フラワーエッセンスのワークショップを開催。
2023年からエナジーワークの本格的なトレーニングを始める。
家の敷地に建つ納屋を宿にして、作陶のできるスペースも作り、
来た人が「自分に還る(かえる)」ための
リトリートプログラムを計画中。
〔 SNS 〕
Instagram:@iikaze_hanako
YouTube:島暮らしの日常
YouTube:見えないラジオ 〜 内なる世界の探求話 〜
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